文化が障害者を救うとき

‪今まで散々漫画とかテレビとか文章とか絵に触れてきてよかったなと思うのは、笑いとか情緒を介して職場の人と仲良くなれる時

もちろんそのためには職場の人間関係に恵まれてないといけないんだけど、ある程度仲が良くなると職場に居やすくなる 職場にいやすくなると‬仕事に力が入る 仕事に力が入ると仕事を任せてもらえるようになる 仕事を任せてもらえるようになると役職が上がる 役職が上がると荒く扱われなくなるしお金も入る

という絵に描いたような幸福なループが一つのモデルとしてある ということで、このループの一番最初は「人と仲良くなる」というところにあるし、それが難しいと仕事に行くことがままならなくなってしまう 何も職場の人全員と仲良くなる必要はない 自分の近くの人で2人くらい雑談ができる人がいればそれで十分だ

障害のある人は真面目な人が多い 支援学校や訓練施設で散々礼儀を教え込まれ、特に支援学校では考えることより体を動かすことに重点が置かれた教育を受けたからだ それ故に面白みがない、障害を持った人が私の周りには多かった

私は体力はなかったけれど、障害者仲間と楽しく話をすることはできた もちろん目は見れないししょっちゅう話を聞き返す けれども話について行けるのは、やはり今まで文化に触れてきたおかげだと思う 漫画やアニメ、ボーカロイド、エッセイ、映画、テレビ、文章、絵ーー

色々なものに触れると、まずはそれに関する話ができるようになる しかしそれ以上に大事なのは、自分で考え、笑いで困難を乗り切る力がつくことである

例えば私はコミュニケーションが苦手という困難を抱えている 目を見て話をすることも愛想よく話すこともできないが、言葉は比較的自在に操れる 日常会話はもちろん、趣味の話に関しては相手の好きな作品から話を広げたり、自分の好きなジャンルの魅力について雑談したりできる 語気にキレはないけれど、自分の言葉で話すことができる それはやはり文化の力ではないかなと、自分の過去を振りかえって思う

私は幼い頃から人と話すのが苦手だったため、学校の昼休みや休憩時間にはずっと一人で本や漫画を読んでいた 昔は親に「家にばっかりいないで外でーー」とも言われたが、「あの頃私がいじわるばあさんを読んでいなかったら」、「あの時私がもものかんづめを読んでいなかったら」と考えると、本当にそれこそ引きこもりになっていたと思う

人に色々考える力を与えるのは、読書であり、鑑賞であり、執筆であり、描画である 生きていくのが困難である障害者を救ってくれるのは文化であり、ユーモアであるのではないだろうか